わが家の天使さま

わが家の天使さま

2009-02-08

ひさしぶりのドライブ / 大館へ♪


                 あちらは白神の山々です。

週末は大館まで行ってきました。
私にとってこの季節はとても近寄ることのできないエリアでしたが、
昨年に比べ今年の冬は雨が降ったりと、わりと穏やかな日が続いていて
土曜日も朝から晴れていたので、北方面へと足をのばしてみました。



大館は『忠犬ハチ公』の故郷。とりあえず駅前のハチ公チャンへご挨拶。
渋谷のハチ公とはずいぶん雰囲気がちがうような??

忠犬というと私が子どもの頃に飼っていた柴犬を思い出します。
小学1年生のとき、犬好きだった父が生後ひと月の子犬を抱いて帰って
きて、それから『プク』はわが家の一員になりました。

小学生の頃は、私がプクのお散歩当番でしたが、中学になり部活動を
始めると、当番は妹に替わりました。私は毎日お弁当のおかずを
ひとつずつ残してきてはこっそりプクにあげることが日課になっていま
したが、きっとプクはお散歩のほうが嬉しかったんじゃないかなと思い
ます。



高校生になるとますます練習で忙しくなりました。
そんなある日、散々な試合の結果にひどく落ち込んで、初めて練習を
休んだことがありました。
その日、私は久しぶりにプクとの時間を過ごしました。

お散歩にも連れていってあげられないぐらい練習を頑張ったのに...
こんな結果でごめんね、とプクを撫でてあげながら、涙がとまりません
でした。プクはおとなしく私の話を聞いていました。

それから2週間後、とても大事な試合があったのです。
試合を控えていたにもかかわらず、寝苦しくて眠れない夜が何日も続き、
ついに一睡もできずに迎えた朝。
「行ってきまーす」と玄関を出ると、いつも私たちを見送ってくれる
プクの姿が見えませんでした。
「プク??...プク〜〜!!」
プクはその朝、亡くなっていました。


             大館市 和カフェ「さくらさくら」にて

プクとのお別れは突然やってきました。
それは大事な試合の前日のことでした。

私は号泣しながら自転車をこいで、学校へ登校しました。
友達や部活の仲間が心配し励ましてくれましたが、
翌日からの試合がどうなるか自信がありませんでした。

その日の夜は、家族でプクの好きだったお肉を抜いた食卓を囲みながら
プクの話をし、みんなで泣きました。
そして父が言いました。
「プクが見守っていてくれるから明日から頑張って来なさい」

その試合で私は見事にスランプから脱出することができたのですが
それはプクのおかげだと今でも思っています。
と同時にあの日、私がプクに悩みを打ち明けてしまったからプクは、、、
とずっとそんな気がしてなりませんでした。
また、寝苦しかった夜、プクもずっと苦しんでいたにちがいないのに
どうして気づいてあげられなかったのだろうという後悔もずっと残りました。

もう30年近く前の話ですが、
最後に私に力を与えて、そして星になったプク...
私とプクの忘れられない『愛犬プク』の物語です。

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